会話をしているとどうしても、
話が途切れて沈黙ができる瞬間がある。
これを、日本では"気まずい"と表現する。
そのような時、
日本でコミュニケーションが得意とされる人は、
「気まずいね〜」と
自分からあえて気まずい状況であることを口にして、共感を得ることで、
気まずささえも共通の話題にし、話を繋げる。
そういった上手い立ち回りの中でも、
日本での沈黙は、
常にマイナスなもの(気まずいもの)
として捉えられる。
私も、人と話をしている時に場が静かになったら、
「やってしまった。何か話題を作らなければ。」
と思う。
しかし、
これは、実際にはそういった思い込みがあるというだけのことで、マイナスなことでは無い。
ここでフランスの話を例に挙げよう。
先程お伝えしたような、
日本では"気まずい"とされる沈黙の時間。
それをフランスでは、"天使が通る時間"と表現する。
これは、
その場に生まれた沈黙が、
そうなるしか無かったマイナスなものではなく、
意味のあるプラスなもの
として捉えられているためである。
同じ場面でも、
捉え方によってこんなにも表現や気持ちが変わるというのは非常に考えさせられるものだ。
私は色々な場面で、
細かく、そしてネガティブな捉え方をしてしまう。
プラスに変換しろと、そう言われても
「どうやってポジティブに考えたら良いんだ」
と思ってしまっていた。
しかし、先ほどの例から、
どうやって考えたら良い
ではなく、
どうやっても如何様にも考えられる
ということに気付けた。
私は根っからの日本人で、
宗教などにもあまり触れてこなかった。
そのため、
天使の存在を信じているか?と言われたら、
首を傾げることになる。
それでも、「天使が通る」という
その感性は理解できるし、むしろ素敵な表現だとすら思う。
きっと物事は、
正解とか、実際にそうなのかとか、
存在しているのかとか、
そんなことはどうでも良くて、
自分にとって周囲にとって
どれだけ暖かな気持ちを与えられるか
を考えるだけで良いのかな
と、そう思えた。