saku’s blog

ありのままがいい。

人と比べてマシな所があれば幸せと言えるのだろうか?

 

私は何もかもを人と比べてしまう癖がある。

それは良くも悪くもであるのだが、

「自分を悲劇のヒロインだとは思いたくない。」

そんな気持ちから

"人よりこんなに良いんだから" と人よりマシな所を見つけて、自分自身に今って幸せだよね?と半ば強制的に言い聞かせている。

 

私は家庭環境が決して良い方ではなかったが、

親も生きてくれているし

大学まで奨学金を借りたとは言えど不自由なく生活させてもらった。

 

仕事だって、

生活に困らないくらいのお金を貰って、

毎日怒鳴られることもなく、

長いこと残業をすることもなく、

勤められている。

 

友達も、

毎日毎週毎月のように会う人達はいないけれど、

声をかけたら会ってくれる子は何人かいるし、

昨日の記事のようにプレゼントまでしてくれる心優しい子も周りにいてくれる。

 

そうやって言い聞かせられるところが沢山あるから、どんどんと辛くなっていく。

 

本当は、

父親から新卒の時から養育費と家のローンを数千万円請求され、

昔私を虐待していた母親からは一緒に外食をした日ですらヒステリックを起こされ、店で怒鳴られた後に無言で食事をし、お金だけ置いて出ていかれる始末。

 

仕事だってついこの間までは、

新卒からずっと在宅で何も分からないのに誰からも何も仕事を貰えず、社内ニート状態。

ただただ人の役に立ちたいだけなのに、何もできるようになれない自分に絶望していた。

その結果、仕事内容が変わった今もその後遺症を引きずって、中々気持ちを安定させられずにいる。

 

また、友人関係も、

大学の研究室の集まりは全員からのLINEを数ヶ月間無視したままだし、

高校時代の修学旅行は私には分からない理由で仲間はずれにされ、泣いていた記憶しかない。

 

それなのに状況が "最悪" ではないせいで、そのような言い聞かせが出来るのだ。

皮肉なものである。

 

そんなに不都合があるならきっとお前に非があるのでは?

そう思う人もいるだろう。

もしかしたら、私が気付いていないだけでそうなのかもしれない。

でも、幾ら考えても正解が、どうしたら良いのかが分からないのだ。

 

それならいっそ私の思いつく "最悪" まで落ちぶれて、もう何もかも無くしてしまえばいい。

そう思っているのに、私はそんなことをする勇気すらないようで。

 

毎日息が出来なくて、

たまに息が上手く出来た日に、普段の息苦しさに気づく。

たまの幸せが、日々の私を更に苦しめるのだ。

 

最近は周りの人全員が味方ではないように見える。

きっとそんなことはないのだろうが、

人の目を気にするあまりに本音を話せる場所がない。

 

幸せになりたいというのは、

私が安心して "ここに居てもいいんだ" と思える居場所がほしいというのと同じなのではないだろうか。

そんな居場所は、どうやって作れば良いんだろうか。

分からない。

私はこれから一体どうしたら良いのだろう。