駅の中で、無農薬のほうれん草が売られていた。
それを見て、
「そういえば最近口にしていないな」と思い
久々に手に取ってみた。
帰り道、
ほうれん草を片手に、ほうれん草と私の歴史を振り返った。
すると、思い出の殆どがサイゼリヤに帰着したのだ。
今は亡き、
サイゼリヤの "ほうれん草のオーブン焼き"
私はこれが大好きだった。
中高生の頃、お金のない時代。
私はよくサイゼリヤで試験勉強をしたり、友達との会話を楽しんだりしていた。
(長居をして迷惑をかけたなと今は少し反省しているが、それも私の青春の1ページである。)
友達は、定番のミラノ風ドリアやタラコソースシシリー風、デザートなんかを食べていたが、
私はブレずにいつもいつでも
"ほうれん草のオーブン焼き"を頼んでいた。
友達からは、
ほうれん草ばっかり食べて…と半ば半分呆れられていたが、そう言われても辞められないくらい大好きだったのだ。
しかし、そんな私の大好きな商品が、
ある日突然姿を消した。
あんなに毎日のように会っていたのに。
大袈裟に聞こえるかもしれないが、"絶望"という二文字を肌で感じた。
そこからは、面影を重ねるように、
"ほうれん草のソテー"を頼むようになった。
しかし、そんな幸せも長くは続かなかった。
"ほうれん草のソテー"も後を追うようにメニューから消え、
そして、ほうれん草そのものがサイゼリヤからいなくなった。
(今見たらなんとびっくりソテーの方は復活していた……いつの間に…ありがとうサイゼリヤ………)
私が今でもほうれん草に手を伸ばす理由。
それは、
"好きだから" という理由だけではなく、
あの頃の思い出、そして、
あの "ほうれん草のオーブン焼き" の面影を、
今でも探し求めているからなのだろう。