saku’s blog

ありのままがいい。

プラシーボの反対

 

以前からの記事で薄々勘づいている方がいるかもしれないが、私は精神科に通っている。

 

通い始めたのは昨年末あたりからで、

そこからは、

抗うつ剤精神安定剤睡眠薬などを

数種類服用している。

 

通院当初、

卑屈で毎日泣きじゃくっていた私は、

薬を飲むだけで気分が上がるなんてそんなことあるのか?

と半信半疑だった。

 

しかし、飲み始めて1~2週間ほど経つと、

卑屈で毎日泣きじゃくっていた私は、

たまに泣くちょっとだけネガティブな私

に変わっていた。

ありのままをお伝えすると決めているので、

"前向きで泣かない積極的な私" とは書かない。

嘘だもの。

でも、

文字で見たら少しだけ、生活で見たらとても大きく、良い方向への変化があった。

 

しかし、3ヶ月ほど服用したあたりで、

急に生活が後戻りしたのだ。

毎日毎日、何も無いのに涙が出る。

ただただ辛い。

何か、悪いことや辛いことがあった訳でもないのに、ひたすらに気持ちが疲れていた。

 

そこで、通院日に先生に相談し、

躁鬱の方が鬱状態になった時に飲むお薬を追加で出してもらった。

するとどうだろう、

みるみるうちに気持ちが戻り、また、

たまに泣くちょっとだけネガティブな私

に戻ることができた。

 

やっぱり薬ってすごい!

辛く居続けるより、やっぱりすぐ頼った方が良い!(個人の見解です)

と思った矢先、周りから妙なことを言われるようになった。

 

「あれ?話聞こえてない?」

「また物買ったの?!それ何に使うの?!」

「なんか最近テンション高くない?!」

 

そう、躁状態である。

(ダジャレじゃない、本当に。)

 

普段の私は、

自分のためにお金を使うことができない。

他人へのプレゼントやお祝いにならいくらでも費やせるのだが、自分に対してはどうにもこうにも勿体ない気がして欲しいものの一つも買えないのである。

それがどうだろう、

自分が欲しいものが一から十まで買える買える。

実店舗の物も、ネットの物もである。

 

その上、何分テンションが高い。

人の話を聞くよりも前に、自分が話してしまい、しかもそれが止まらないのだ。

 

「大人しいね真面目だね」

と耳がタコになるまで言われてきた私にとって、確実におかしい状態であった。

 

そこでまた先生に相談をした。

(通院時は大体切羽詰まっている状態なのだが、予約を早める電話は何があってもできないため、数日~数週間は必死で耐える。)

すると、先生から、

躁状態だね。鬱の薬一旦やめよう。」

と言われた。

「自ら命を絶つ方の多くが、鬱状態ではなく躁状態であるが故、躁状態と分かって放っておく事はできない。君にはその可能性がある。」

とも。

 

先述のとおり、私は薬を飲んでとてもとても救われた。

絶対にもっと早く飲むべきだったと両手をあげて喜ぶ程には、薬の存在が救いの手に見えていたのだ。

そんな中、

次の通院(2週間後)まで、精神安定剤だけで耐えなければならなくなった。

とても不安だった。

 

これは依存なのだろうか?とも考えた。

しかし、乱用をしなければ、依存は何ら悪いことでは無いと思う。

現代のほとんどの人達はスマホに依存し、手放すことを望んでいないのに、生活は成り立っているのだから。

とはいえ、薬に依存しているという仮定もそれはそれで怖いもので、何もかもが不安になった。

 

話は少し脱線したが、

そんなこんなで薬の種類が減り、私の手元から抗うつ剤が姿を消した。

となった瞬間、

なんだか気の落ち込みが激しくなって、

その日の夜は無事に泣いた。

 

これは、薬が切れたからなのか。

はたまた心の支えが消えたからなのか。

 

思い込みの力で体調が回復するなら、

思い込みの力で脳(気持ち)が落ち込んでも

何ら不思議は無い。

 

そう思うと、心身共に健康な人達は、

"思い込みの力" が強いという側面もあるのだろうか。

 

私もそうなりたいものである。