saku’s blog

ありのままがいい。

真面目は悪口?

 

私はよく「真面目だね」と言われる。

これは良い意味の言葉なのだろうか?

 

生粋のネガティブである私はその言葉を言われる度、

「きっと私には褒められる部分がまるでないから、テンプレートのような真面目という言葉を"つまらない堅物" の代わりに言い換えてくれているんだろうな。」

と、とてもひねくれた考えをしてしまう。

自分でも良くない癖だと分かっていながら、それを前向きに捉える術を知らなかった。

 

だから、どうしてこの言葉を前向きに捉えられないのかを沢山考えた。

 

その結果、自分なりにひとつの仮説に辿り着いた。

それは、"真面目という言葉を大きく捉え過ぎているから" なのかもしれないということだった。

 

真面目とは、ひとつの結論のように見えて、大きな括りのひとつでしかない。

同じ"真面目"と言われる人間であっても、

言葉遣いがいつも丁寧だからや、細かいところまで拘っているから、物事を最後まで責任を持ってやり遂げるからなどと言った個性(違い)がある。

だからこそ、

「真面目だね」という一言で片付けられると、自分の良い点に気付くことができず、その上その言葉に対して疑問まで抱いてしまう。

そんな気がした。

 

ということは、

今後真面目だねと言われた時は、

「真面目ってどこで思ってくださったんですか?」

などしっかりと掘り下げて細分化した点まで聞くことで、その人の言葉を信じられるのではないかと思った。(まぁきっと面倒な奴だと思われるのだろうが、そこは今回は置いておこう。)

 

加えて、最終手段。

逃げの一手というのも考えてみた。

そもそも真面目だと言われると拒否反応が出てしまう身体になってしまった故、言わせないというのもある種の戦法である。

そのため、「今年の目標は真面目と言われないようになることです!」といった冗談混じりの言葉でも良いから、周りにやんわりと意思を伝える。

そんなことも大切なのかなと思った。

 

世間の方々は当たり前にやっていることなのかもしれないが、私にとっては大きな第一歩。

人のことも勿論そうだが、自分のことももっと労わって生きていきたい。

そう思う今日この頃である。